知っ得シリーズ⑥
おたふく会のあゆみ その①
「知っ得シリーズ」は、会活動や支援体制・仕組みなど、知っているようで知らない色々な事について、リレー形式で掲載します。今回は「おたふく会のあゆみ」をテーマに、2021年4月に発行された『別冊おたふく』設立30周年記念号の中の記事「みんなでつくるおたふく会ザックリ年表」の中から抜粋し、おたふく会設立からの約10年間(1990年代)についてお伝えしたいと思います。
<年表> 1990年代の出来事とおたふく会
年度 当時の出来事 ・その頃おたふく会は… 会員数
1990(H2) 全国学習障害児・者親の会連絡会が設立・おたふく会設立準備会発足 60
1991(H3) ・大阪学習障害(LD)児・者親の会「おたふく会」発会! 80
1992(H4) 文部省、「通級による指導に関する充実方策について(審議まとめ)」報告。「学習障害児などに対する対応」が織り込まれる 全国学習障害児・者親の会連絡会から、全国学習障害(LD)児・者連絡会に改名 100
1993(H5) 学校教育法施行規則改正され通級による指導(いわゆる『ことばの教室』)が制度化 85
1994(H6) ・2度目の危機。新体制で乗り越える・会報が一時休刊。半年後、18号より復活 75
1995(H7) ・全国情緒障害教育研究協議会(全情研)大阪大会にて、おたふく会と翼の合同発表 105
1996(H8) 全国LD(学習障害)親の会に改名・大阪府福祉基金地域福祉振興助成金事業 「サマーキャンプinてんかわ」実施 132
1997(H9) ・大阪府福祉基金による助成金事業「サマーキャンプin六甲山(六甲自然の家)」・会報43号より、機関紙『おたふく会』から機関紙『おたふく』に変わる 150
1998(H10) ・第8回総会にて大阪LD(学習障害)親の会「おたふく会」に名称変更 180
1999(H11) 177
※参考:全国LD親の会刊 『発達障がい者支援におけるNPO等の役割に関する報告書-全国LD親の会20年のあゆみ-』
※2009年度末までの会員数も上記参考資料によりますが、前年度末時点の会員数が表記されおり、前年度の会員数としてここでは掲載
おたふく会会員の回想コメントを見ると…
【設立に至るまでは…】
・(会設立の頃は)NHK「こどもの療育相談」をよく視聴していました。『ぼくのことわかって!LD(学習障害)児への手引』(朝日新聞厚生文化事業団発行)がバイブル的な存在で何度も読み返しました。
・発会時の会員さんの多くが他県の親の会に所属されていて、おたふく会を設立にこぎつけたのだそう。
➡発達障害に関する情報や相談する所が本当に少なかったそうです。「子どもが学校の勉強についていけない。集団の活動に参加できない」といった悩みをもつ保護者同士数名が集まり、おたふく会を設立したそうです。
【設立から数年間は…】
・会を存続するか分裂するかを話し合い、とても大変な時期でした。先生方もおたふく会存続にご尽力くださり、新体制となったのです。
➡設立メンバーのお子さんが義務教育を修了していくにつれ、親の会運営面でスムーズな世代交代とならなかった様子がよくわかります…。ただでさえ親子共々困り感の多い日々の暮らしの中、親の会の役員のなり手不足は今も昔も変わらず想像に難くないかと…。
【1990年代後半入ると…】
・夏にキャンプ、冬にクリスマス会、常時は学習ルームと体操教室がありました。とても楽しい思い出です。
・この頃は、知的に遅れの無い発達障害児者を支援の対象としてもらうために、他の会と一緒に行政訪問や要望活動を行っていました。「LD」といえば「レーザーディスク」がまだまだ一般的で、学習障害がなかなか伝わらない時代でした。既存の障害と新しい障害の軋轢も感じていました。
➡学校生活にはなじめなくても、子ども達に楽しんでもらえるような機会や居場所を親の会が提供していたことがうかがえます。並行して、発達障害への啓発・正しい理解を求めて奔走されてこられたことが今日に繋がっているのかと思うと、先輩会員の方々には本当に頭が下がる思いです。 (I)